未婚化というけれど&CEPT

40代になった私ですが結婚どころか恋愛に興味を持てないでここまで来ております。他人の生活を知らないのでそういう恋愛観が育たずに今まで来たのだろうと思います。昔から家に帰っても親ぐらいしか会話相手がいなくてしんどいなぁと感じてました。今でもそうなんだけど歳の近い話し相手って必要ですね。兄弟もいないのでそういう「誰かと共同生活がしたい」というのが前提にありすぎて、それができなきゃ意味がないと思うのです。これ世間では全く真逆なだろうけどね。

この考え方、10代の頃からなんも変わってない。笑 進歩がないというのか。来年から始まる予定のシェアハウスCEPTもそういう共同生活したいという自分の思いも詰まってますがシェルター機能にもしようと思ってます。

おそらく結婚とか生涯しない、その辺にいる変わったおじさんのまま終わりそうですが、今後ともよろしくお願いしますね。

居場所について

まあ居場所の無い私がとある居場所事業のスタッフをやっているわけでして。私にとって「居場所」は固定されたものではないという思いがあります。ひきこもり状態の人って「動きたくない」よりも金銭的に体力的に「動けない」というのがあるように思えます。そのため、出るための「ステップアップ」であるための居場所という捉え方です。

最近の傾向として中高生の不登校の予防による、ひきこもり状態の予防という政策が多いように思います。結果が出やすいんですよね、不登校から登校するって結果として見えやすいので。でも重要なのは大人の居場所で、中高生や20代はSNSなどで場所を作るのが上手なのですが、一方で30代やら40代の人は私もそうですが「居場所」という言葉自体に抵抗を持っている人が多いです。家族のようにいつも同じ人がいたり、定着する場所ではいけないんですね。

自分で何とかして考えて立ち上がれる過程を重視したいなと思います。そこでは仕事につなぐ場合もあるし、福祉や医療につなぐ場合もある。さっきの身動きが取れない次の「ステップアップ」がそれです。一休みできる場所は別に作る必要あるけど、それは居場所ではないように思えるんですよね。

この社会が家族やら就労やら自己やら常識やら、絡まってしまってるのでややこしいのだけど歳を取ってからでもある程度やり直せるシステムというのは必要だと感じてるのですが、その過程での宙ぶらりんな存在なのかなと思ったりしてます。この仕事も来年6月末あたりで辞めようとは思ってます。それが私の次のステップというやつですね。

大阪という土地とひきこもり

大阪という土地は発達界隈では寛容さがよく言われているのだけど
ひきこもりニート界隈ではその逆で評判が悪い意見しか聞かない。
どうも「就労」の考え方にあるようである。

大阪ってお金を稼がない、残さない人は人ではないという意識が半分ぐらいあって、
…それが大阪だけが妙な新自由主義の維新が躍進してしまう理由なのだと思う。
とてもひきこもりニートの「働きたくない」に反してしまっている。

ニート株式会社のような存在が東京ではすんなり浸透しているけど、、
大阪ではまったく受け入れられてないことがそれを現している。

ちなみに、私は世間でいうような「ひきこもり(状態)」やら「不登校」は実はほとんど経験していない。家に籠もっていたには半年ぐらいで、家にいても一人で親は敵という意識があり、外ばかり出てたし、登校はしていたのだけど、教室にも保健室にも居場所がなく、結局屋上につながる暗い階段だったり。親も担任も憎んで、兄弟も友人もいない孤独な小中高生時代でした。10代やら20代前半で死ぬとも思ってましたしね。笑

あと、電車に乗れないほどのパニック障害を発症して大学も中退している。
勉強はしたいけど、学校は嫌いだったな。燃やしたくなるぐらい嫌いでした。
そういう当時の思いって、赤の他人に話しても何もわかってくれないのですよね。だから経験を共有しても無駄だと思っています。

そんな環境だったのですが、今も似たような感覚だったりで、逆に人間関係に悩むことなく。大多数の人が人間関係で悩んでるようなのですがそれが羨ましく思っています。

今は血縁のようなややこしい人間関係があればいいなと感じてるのもその辺があるのかもしれません。私の人間関係なんて細い糸みたいなものでハサミでちょん切れば切れますから、脆いものです。

正社員のち無職

今、私は人生初の正社員という立場にいる。ただこれも続いたとしても2,3年なのかなと思ったりしている。メリットデメリット共にあって、ちょっとしたことでどちらかが大きくなるからである。

メリットといえば社会保険が安い。無職だと16000円と高く払わなければ催促状がどんどん来る国民年金がプレッシャーなんですよ。実家住みだと免除申請しても世帯収入で見るので利きにくいのもあり、結構安く感じます。日本はパラサイトとか他人を気にしすぎる部分はあるのだけど、別に親なんぞ使い倒せば良いのだと思います。そのうち消耗して居なくなるのでね。

デメリットは自分の時間が取りにくい。私の場合は給与は低いが週4労働でいいので週3は別に当てられる。派遣の週5労働をしてた時代は交通費が出なかったので水準としては1万ぐらい手取りが減ったぐらいの感覚なのです。

今は放送大学の学生という立場もあるのですが、それは大卒資格を取得する、学ぶ他にも確定申告時に勤労学生控除が利くのでそれも兼ねています。27万円の控除って結構大きいです。

「働いたら負け」ではないけど、なるべく楽できるように「ちょっと余裕ができればお酒を飲みつつ知り合いと楽しむ」といった西成のおっちゃんスタイルも良いなと感じています、

死んだら負けか?

とある芸能人の発言でマスコミ特有のその発言だけ切り取っちゃあいけないけど「死んだら負け」という発言があったようだ。まあそれだと人間は必ず誰しも絶対に負けることになりますね。笑 何らかの薬などで不死身になるのであれば別ですが。

人間それぞれの死期というのがあってそれは宿命のように付き纏うものだと私は思ってます。最初の死期というのはすでに生まれたときから決まっていて、人生ゲームの双六のように何かの拍子に長生きすることもあれば死んでしまうこともある。そんなもんなんかなとここ10数年ほどは自分の経験も含めて思ってる。

とある芸能人の発言に当てはめてみると「死んだら負け」というのであれば、他人の見た目はどうであれ自分にとって「キレイな負け方」ができたらいいかな。我を通すというのか、筋を通すというのか。そういう意味で自殺したアイドルのメンバーの子はキレイな負け方だったのだなと思う。少なくとも権力にしがみつき晩節を汚しまくってるオッサンよりは大往生だ。

結婚というイメージが沸かぬ

私は結婚というイメージが沸きません。まあ誰かと共同生活を送るという経験がほとんど無いからなのでしょう。単なる「認可制シェアハウス」にしか見えないところがあってその辺発想が貧困なんだなと感じてます。ちなみに家族は「強制シェアハウス」。笑 

少子化が進むのであれば、無理して異性間の結婚を促すよりも家族制度や慣習、パートナーシップ制度をもう一度洗いざらいにして、同性婚議論を巻き込みつつ変えていけばいいのになと思ったりしてます。別に血縁にこだわることもないし、私のように生殖能力もなければ、セクシャルマイノリティな人間は蚊帳の外です。自民党のいう「伝統的家族観」が通用するのは運がいい人です。

いまさらなんですが…

私、とある若者支援の居場所というところでスタッフをしております。(週3~4回)世間では「支援される側」の人間と見られる私ですが、支援どうこうは関係なく、お互い支え支えられでいいのでそんな気分でやっております。「みんなで作っていく場」が居場所ですから。それで分かったことが

やっぱり40代の居場所がない!

ということ。ここで囲い込みたい(という言い方も変だけど)中高生、若者という人たちは居場所をネットなど利用して気軽に作れる人たちなのです。一日店長のカフェバーしかり、ネットでのちょっとした飲み会カフェ会しかり。集まれる出会うチャンスなんていくらでもある。まだ30代後半でも少なくはなるものの、まだ多いほうじゃないかな。

それが40代になると結婚などライフステージの変化などで社会の扉というのが急速に閉まりだす。今は皆が皆そういう時代ではないのに、一律で締め出しちゃう傾向があるように見える。そこで多様性うんたら言われても笑うしかないのです。

社会的ひきこもりは「私達社会が作ってる」という意識が日本社会は特に欠如してるように見える。学校から会社まですべてメンバーシップ型という弊害なのだろうけどそこから離脱してしまうと生き方そのものがしんどくなってしまう。自発的にやろうとしてる人は別だけど、精神的な病気などでしんどい人にそれを求めるのは酷ではある。

自分にも降りかかるかもしれないという思いで優しく(ときには厳しいのもありだが基本優しく)接するというのは良いことだと思う。それも社会参加なのだから。

否定の言葉はしんどくなる

私はひきこもり界隈の人とはもうあまり関わらないようにしているのですが、FBでひきこもり界隈の関係者の腐れ縁の人から通話が。あまり通話は好かないのですが出ました。少し上のその人は自分の経験で語りはるのでちょっともういいかと思って途中で切りました。

お金が無いとだめだの、働きながらするのが一番良いだの、それができないから困ってるのだけど全部その人だけの経験上だけでの会話だったので滅入りました。あんまり宜しくないですね。アドバイスいつでもいいよと言われたけどもうしません。

そういう界隈から離れた理由がもう一つあって、「絶対できないだろう」と勝手にレッテルを貼られること。これは誰にとっても良くないんです。とくに40代中盤ぐらいの人に多い気が(だから極端に苦手なんです)

もっと前向きなことば、掛け合っていきません?