正社員のち無職

今、私は人生初の正社員という立場にいる。ただこれも続いたとしても2,3年なのかなと思ったりしている。メリットデメリット共にあって、ちょっとしたことでどちらかが大きくなるからである。

メリットといえば社会保険が安い。無職だと16000円と高く払わなければ催促状がどんどん来る国民年金がプレッシャーなんですよ。実家住みだと免除申請しても世帯収入で見るので利きにくいのもあり、結構安く感じます。日本はパラサイトとか他人を気にしすぎる部分はあるのだけど、別に親なんぞ使い倒せば良いのだと思います。そのうち消耗して居なくなるのでね。

デメリットは自分の時間が取りにくい。私の場合は給与は低いが週4労働でいいので週3は別に当てられる。派遣の週5労働をしてた時代は交通費が出なかったので水準としては1万ぐらい手取りが減ったぐらいの感覚なのです。

今は放送大学の学生という立場もあるのですが、それは大卒資格を取得する、学ぶ他にも確定申告時に勤労学生控除が利くのでそれも兼ねています。27万円の控除って結構大きいです。

「働いたら負け」ではないけど、なるべく楽できるように「ちょっと余裕ができればお酒を飲みつつ知り合いと楽しむ」といった西成のおっちゃんスタイルも良いなと感じています、

最近の日韓関係

世間では日韓関係が悪化しているだの、韓国がGSOCIAの協定を延長せず破棄しただの、政府間での仲の悪さみたいなものを必死でマスコミは流してるようです。個人的には別にどうと思ってなくて普通に韓国の食品を買ったり、映画みたり、西成では在日韓国人の方と楽しくお酒を飲んでいる。

その程度で隣の国なのだから別に接すればいいのかなと思ってます。よく民間交流は政府間が険悪な関係になっても続けていきましょうといわれる。まさにその通りで途切れさせてはいけない。

社会問題をいうときによく思うのは、日本では不思議なことに政府に人々が内包しているように見えてしまうんですよね。個人の行動がやはり薄い。集団でしか動かないと言われるけど集団でも何か大きなものに言われないと動けない。

韓国のレインボーパレードに参加したときに人々の社会に対する何かを発信する力を体感した。社会に対峙しつつそれを楽しむ、最後まで叩こうなんて思わないというのが凄い。

日本にいると集団リンチのように少し違うとか気に入らないことがあると、不特定多数の集団によって最後まで徹底的に叩き出す。そういうことが日本に住んでいながら怖いときがあります。元々そういう国民性だったのだろうけど、ここ数年心の余裕がなくなってしまったのか露骨に出てきてしまってるような気がしてます。

日韓関係の拗れはそう簡単に正常化されそうもないが、お互い改めて自国と相手国について考える機会になるのだろうと思う。輸入食品の放射線検査を強化すると言われて「それは向こうが勝手にやってることだ」と言わない。それなら自国はどういう対策を取っていくか次のことを考えないといけない。

お互い間違ったことはやってないと言い張るのは仕方ないけど、間違ってると分かれば直していきましょうよ。何でもそうだけどいつまでも「自分は間違ってない」と言ってても仕方ないです。

おまたせしました。

誰も待ってないって?そんなもん知るか。笑

というわけで半年以上ちょっとブログ書けてませんでしたが、少しずつ復旧していきたいと思います。消えろといわれようが存在は在るわけで、それが在る限りは何かを発信し続けたい。たぶんこれが私の遺言に鳴ると思います。TwitterやFacebookなどのSNSも遺言代わり。だから飽きないのかもしれない。

「生きることについて」「人間や社会と関わるとはなんだろう」と自己肯定感の薄い(低いというよりこの表現のほうが近い)私、色々と考え悩んで試行錯誤してきました。普通の人はこんなこと考えることはまず少ないと思うのですが、私の場合は孤独な時間が多かったので余計なことまで考えがちになります。これが寂しさからネガティブな思考になったりするので厄介なところです。

社会不適合者な私ですがたぶん治らないのだろうと思い、それなりに生きていくしか無いのだろうなと開き直りました。(今更?)

これから徐々に復活していくので今後ともよろしくお願いいたします。