来年の街区道の展開

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http://www.gaikumichi.com

2001年から運営している街区表示板のサイトがいよいよ15週年なんですが、別にブームになるわけでもなく淡々と運営してます。初期の頃は情報サイトの1コーナーだったのですがこれだけ独立して今でも続いています。

実はNHKからオファーがあったのですが連絡が途切れて立ち消えになってました。その間にマンホールや想像地図ブームがありましたがこれにも乗れず。

来年は調査範囲を少し増やすので(大阪圏のデータも強化シてますが)どうなるかわかりませんが、どうなることやら。

M-CANラジオ部のなべ会でした

昨日はお世話になっている総持寺の地域福祉のNPO団体である、M-CAN(三島コミュニティアクションネットワーク)のラジオ部のなべ会に行ってきました。毎週土曜の午後にインターネットラジオの収録をしているのです。

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この三島地区は地域の課題の発見や地域住民同士の共助の仕組み作りを提案する、かなり積極的な団体で、30~50代の何らかの雇用創出にも色々と試行錯誤しています。私も当事者なのですがそれが結構面白いなと思いつつちょっと参加しております。

NPO法人 M-CAN
インターネットラジオM-CAN JUICE

普段はラジオの収録が13時半からなのですが、色々とありましてこの日は17時頃から活動。結局なべ会の後にラジオ収録ということになりました。ちなみに私はラジオブログのほうを担当してます。私の場合はこういう会に慣れてないせいかいつものペースで飲んで結局酒を5缶開けてしまいました。これがダメなんですね。笑 でも寄せ鍋は美味しかったです。今後も月に1回ペースでやるとか。

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こういう感じでやってます。映ってるのはメインパーソナリティのさだちゃんです。いつもお世話になっております。この総持寺の地域だけではなく地域外からも色々とゲストを迎えてるのでぜひ遊びに来てください。

色んな人に会った

今日は暇だったのでTwitterでお茶相手募集してたら、Sくんに呼ばれる。ツイキャスとかでよく関わっていて、大阪で住んでるようなので行って色々と話した。どうやって稼ぐか、会話をすると浮かんでくるもので結論としては生活の自動化と洗濯をキッチンでできるような生活のコンパクト化ということですか。

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そのあと天王寺まで歩き、バスでハピネスライフカフェへ。いつものように後藤さんの唐揚げとロングハイボール。みっくんと今後の展開について話した。体験談でBI販売から卒業してしまうと人間関係が変わって疎外感が生まれてしまうのである程度のところまで寄り添いたい、人生は連続性があって途切れないという話で、それは色んな立場でも言えるのではないか、と。

社会福祉でもこの辺が抜け落ちてるところなんですよね。立場が変わってしまうとゴッソリ人間関係まで変わってしまう。そういう劇的な変化というのは疎外感を持ちやすくてまた元に戻ってしまいガチ。そういうのを何とかしたいなと。キーワードは「ある程度の寄り添い」ですね。

クローズドなカイシャ社会

とある派遣会社で長期の仕事があってほぼ確定しそうだったけど蹴った。理由はただいま極限の金欠なのでできるだけ日払い、週払いのできる派遣会社が良かったのと正社員になれる”かもしれない”派遣社員にあまり魅力を感じなかったからです。そういう”かもしれない”不確実なので良いのかなと思ったりで。

ここ数年本当に格差社会になりまして、正規と非正規(社員)の差が広がりました。ただどれだけ非正規で仕事ができても、非正規から正規になれるわけではなく(正規の枠がもともと狭すぎる)、同じ仕事をしてるのに待遇たけ格差があるわけです。キャリアも同じ仕事をしていても正社員なら経験になり、派遣やバイトなら経験として認められないときもあるのです。立場によって変わるのはおかしいでしょ?

非正規だと正規になるのがゴールのように思われるけど、なれないのであれば非正規の世界を生きなきゃいけないわけで、それだったら様々な職種を経験したほうが幾らか良いわけです。それが正規の社会では経験と認められなくても「経験」には変わりないのですから。要するに「社会のしくみ」そのものが違うということ。

キャリアを積ませてくれないのであれば、自分で試行錯誤してやるしかないんですよ。そういう点で非正規ばかりを経験している私から見て正規の人って甘いよなと感じます。逆に正規の人からすれば非正規は甘いと言われるのですがそれも「社会のしくみ」が違うのでそう思われても仕方ないと思ってます。

そういう現状が表に出てこないのもクローズドなカイシャ社会だからで、正規と非正規の分断ってもう別大陸のようになってしまっているのかもしれません。同胞だけどもその中で完全に社会が分断されてる。家庭内でも、会社内でもそういう違う立場の人に対する無理解が起こってくる。どっちがどっちでもないけど、まるで原住民と新住民の対立のように。そのようなことになっているのは海外の人からすると理解不能なのは間違いない。