日雇い労働から考える

あまりにも金欠のために日雇い労働をしてきました。交通量調査というもので、前泊ありの5時から23時勤務です。

この仕事、ニートでも出来る仕事の代表格として扱われてます。これは人と関わるのが嫌とか、集団行動が出来ないというのが「ニート」という言葉に含まれているのではないかと疑問を持ちます。本来の意味としてはニートというのは「若年層で学校にも職にも就いていない」というのが定義で別にそういう先入観は意味してないのだけど、日本では飛躍してしまって単なる「働いてない人」を表す言葉になってます。何か変ですよね。

確かに交通量調査というのは交差点に座って、何方向かの車の種別をカウントしていく作業。ある程度集中しないとできない。2時間カウントして1時間休憩する、その繰り返しです。実質12時間勤務です。雨でも傘を差せず、寒さでも動けず意外とキツい仕事です。

考えてみたら「誰でもできる」というのは別に「楽な仕事」でも何でもなく、「誰もやりたがらない」や「就けるハードルが低い」というそういう部類の仕事なんですよね。ある意味でキャリアという世界からは切り離された感じの人たち。でもこういう人たちがいるからこそ国や自治体が適切に税金を使うための交通政策が立てられるし、大事な存在でもあるんです。やってる人は胸を張って誰かの役に立ってると思ったほうがいい。

働いてない人に一概に「人と接しない仕事」や「日数の少ない仕事」をすすめるのは偏見で、「人と接する仕事」や「がっつり日数を働ける仕事」を求める人もいるし、今の日本の働き方が企業にとって使いやすくなっただけで労働者にとっては選択肢が無いことがある。そういう「働き方の多様化」なのに何か誤解されていることが多い。

「社会人」とは会社の気持ちになることではなく、同じ社会の構成員である他人の気持ちになることだと思う。「会社だったらこの人を雇えない」ではなく「この人は雇われなくてどういう気持ちだろうか」を考える。それが日本のロボット化した社会人の人間再起ではないかと思う。人間になろうよ。

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