寿栄小学校のことなど

マスコミはしきりに寿栄小学校の塀が倒れて通りがかった女児がお亡くなりになる映像や、茨木市の淨教寺の門が倒壊している映像が流れてるのですが、それ以外の映像が流れず規模が大きい地震に見られてますが、ライフラインが若干影響を受けているだけで実生活はほとんど正常に戻ってます。

なので「被災地」に住む「被災者」なのですが実際「?」のマークが付いています。どうしてもマスコミは視聴者がそれを求めてるのでセンセーショナルな報道に行きがちなのはわからなくもないのでそれに集中してしまうのでしょう。視聴者がそういうのを求めてはいけないのだけど、まあ以下略ですが求めちゃうんです。おそらく私も知らない土地の地震だと断片的な情報しかわからないので同じような思考になるのかもしれない。

「当事者」って「非当事者」から見ると表面上でしかわからないんです。でも「当事者」ですらすべての人が同じような状況ではなく驚くほど全然違う。でも「当事者」だから内輪になり、内に篭ってしまうのも分かる。日本は内向き集団社会なのでその傾向が強くて、社内の人には異常なぐらいに敏感ではあるが、社外の人については異常なほど鈍感である。

今回の事故も「たまたま」が重なって不幸な事故が起こってしまったが(ここ以外に学校関係で倒れた塀は無い)門が倒れてしまったことに関しては。非当事者として(ただ市税を払ってるので若干近い目で見ないといけないけど)、経緯を見守って、悪かったところが良くなるように願うところです。別に自分の影響がないとわかる強烈に批判するのが駄目な国民性だなといつも思う。

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