セクシュアルの話は難しい

私もよく直面することなんだけど、セクシュアリティの話というのは難しいというよりも「個人個人の感じることや体験の話」になるので他人はそこへ深く突っ込めないというのはあるんですよね。だから私はそういう話を聞くことはできるけど、意見というのは一切しません。本当に一人一人感じることが違えば自認しているもの、自分はどうであるか、そこに至ったプロセスも違うので「自分のこと」しか話せないんですよね。

会話としてLGBTQの話をするとか議論するというのは、ルールを決めてやらないと難しいと思う。その辺、淀川区のLGBT支援事業のコミュニティースペースでは虹色ダイバーシティのスタッフの方も関わっているようで以前にお邪魔したときも、さまざまなセクシャリティの方を交えてそういう対話をしていましたが、こういう話をする場合にはより知識を持ってその人の話に寄り添うファシリテーターの人がいないとまとまらないんだろうなと思ったり。

他人にどう言われようがこの手の話は本当に「自分のこと」しか話せないんですよね。それを否定してしまうのはその人のことを否定してしまうことにもなってしまうんですよね。だから気をつけています。その本人から意見を求められたときぐらいしか私は深くも立ち入ることはしません。

しかしLGBTQの話って本当に難しいのですよ。ゲイバーとか行ってもそういう話にはならなくて、ほとんどが自分と同じ(であろう)属性の人との出会いやコミュニケーションを楽しむ場になっています。それはそれで店の存在意義としては正常なのですけどね。これに関しては当事者側も間違った情報を発信していていてマスメディアもそれに乗っかった形になってしまったのかもしれませんね。お店での商売としてのトークを真に受けてしまっているだけ。

・・・この辺が芸人がいじめられてるのを見て学校でいじめが起こるみたいなのと一緒なんですがあれも芸人さんはお金をもらっていじめられてますからね。商売としてのトークをマスコミがもろに受けて、いわゆるふざけた「ホモネタ」というのも生まれてしまったのは反省点でもありますね。今でもニコ生とかで淫夢とか流行ってますがそれもその流れなのでしょう。

今後はもっとジェンダーやセクシュアルの話が出てくると思うのですが、一人ひとりがもう一度見直さないといけない問題なのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください